マクラーレン・セナ マクラーレン市販車の歴史は? 音速の貴公子セナって誰?

マクラーレン・オートモーティブは昨年12月に発表した「マクラーレン セナ」を22日、日本において初公開しました。

F1のマクラーレンはよく知られていますが市販車の歴史はどうなのでしょうか?

また、車名に冠せられた「セナ」とは今は無きF1ドライバー、アイルトン・セナから取ったものですがセナとはいったいどんな人物だったのでしょう?

気になったのでリサーチしてみました。

スポンサーリンク

マクラーレン・オートモービルの市販車種履歴


出典;McLaren Automotive

マクラーレン・カーズとして1990年に設立された、現マクラーレン・オートモービル。

今やフェラーリやランボルギーニに続くスーパーカーメーカーとして知られていますが歴史的にはまだ浅いこのメーカー。

今までにどんな車種が発売されてきたのでしょうか?

マクラーレン・F1


出典;McLaren Automotive

1990年に会社は設立されていますが最初の車、マクラーレン・F1の量産が始まったのは1993年12月になってのことです。

当時F1パートナーだったホンダにエンジン供給を打診したようですが折り合いが付かずBMW製V12、6.5Lのエンジンが搭載されています。

車両価格はランボルギーニだって4000万円ほどで購入できていた時代に当時としては破格の1億円!

その頃、F1絶好調のマクラーレンから出た初の市販車だけに世界中から注目が集まりました。

1988年生産終了までに106台が生産されています。

メルセデスベンツ・SLRマクラーレン

2003年フランクフルトモーターショーで発表されたメルセデスベンツとマクラーレンが共同で開発したスポーツカー。

メルセデスベンツの名が冠されていますが生産はマクラーレンの専用工場でハンドメイドされていました。

2004年から日本でも販売され2009年に生産終了。

マラーレン・MP4-12C


出典;McLaren Automotive

マクラーレン・F1の後継者として2011年から製造。

車載されている3.8Lツインターボエンジンは自社製でターボユニットは三菱自動車の物が使われているそうです。

2014年に生産終了。

現行車種

現在のマクラーレンは他のスーパーカーメーカーと同様に多車種展開に移行しています。

販売されている3つのシリーズは以下の通り。

・アルティメットシリーズ


出典;McLaren Automotive

[マクラーレン・セナ] [マクラーレン・P1] [マクラーレン・P1 GTR]

・スーパーシリーズ


出典;McLaren Automotive

[マクラーレン・720S]

スーパーシリーズは2017年にモデルチェンジしているため以下のモデルは生産終了しています。

[マクラーレン・675LT(生産終了)] [マクラーレン・650S(生産終了)] [マクラーレン・625S(生産終了)][マクラーレン・675LTスパイダー(生産終了)][マクラーレン・650Sスパイダー(生産終了)]

・スポーツシリーズ


出典;McLaren Automotive

[マクラーレン・570S] [マクラーレン・540S] [マクラーレン・570GT][マクラーレン・570Sスパイダー]

スポンサーリンク

その他


出典;McLaren Automotive

実はマクラーレン・カーズとして1990年に設立される以前にも市販車をリリースしています。

マクラーレンの創業者であるブルース・マクラーレンが1960年代後半にルマン24時間レースの参加を目指して当時、カンナムレースで無敵を誇ったM6をベースに「マクラーレンM6GT」と言うモデルが生産されました。

しかし、ブルース・マクラーレンの車両テスト中の事故死により、マクラーレンM6GTは4台しか生産されずルマン24時間レースのレギュレーションである50台以上の生産枠を達成することなく、ルマン出場は断念されています。

現存しているマクラーレンM6GTはアメリカの博物館にあるそうですが、もしオークションに出品されれば幾らの値が付くのか想像もつきませんね!

音速の貴公子アイルトン・セナ

アイルトン・セナ(アイルトン・セナ・ダ・シルバ)は1981年、1990年、1991年と3度のF1タイトルを獲ったブラジル人ドライバー。

1994年にF1レース中の事故で34歳の若さで亡くなっています。

今もって多くの人から愛され続けているセナとはどんな人物だったのでしょう?

セナはブラジルのサンパウロで裕福な地主の子供として1960年3月21日に誕生。

左利きで血液型はB型。

ブラジル人なのに何故かコーヒーが苦手だったらしいです。(笑)

F1活動のほかにも地元ブラジルで事業を展開し、チャリティーにも積極的だった方のようです。

4歳の誕生日に父親からレーシングカートをプレゼントされ、父親の豊富な資金的サポートなどによりレーシング技術を向上していったようです。

4歳の誕生日にレーシングカートなんて想像できませんね!家庭の裕福さが伺われます。

13歳になると本格的にカートレースに参戦し順調にキャリアを重ね、日本にもカートレースのため来日したことがあるようです。

その後、カートレースは1982年まで続けています。

1980年に幼馴染と結婚しましたが翌年には離婚しています。

1981年にはヨーロッパに渡り、レーシングスクールを受講し、フォーミュラフォード1600にて優勝。

1982年、フォーミュラフォード2000にてチャンピョンを獲得。

1983年にはF3にて20戦中12勝と言う当時の最多記録にてチャンピョンを獲得しています。

1984年からは念願のF1に参戦。

トールマンと言う下位チームからデビュー。

同年、途中でロータスへ移籍。

1987年にはロータスがホンダからエンジン供給を受けるようになり日本人初のF1ドライバー中嶋悟がチームメイトに加わりました。

当時F1参戦1年目の中島悟にセナは良くアドバイスをしてあげていたようです。

シフト回数の多いモナコGPでは「こうしたら良いよ!」と手に薬を塗ってテーピングまでしてくれたそうです。

1988年にはマクラーレンへ移籍し、当時のトップドライバー、アラン・プロストとチームメイト同士の激しいバトルが繰り広げられたことは有名な話です。

1992年ホンダがF1から撤退。

1993年ウィリアムズ・ルノーに移籍。

3戦目のサンマリノGP決勝にてコースアウトしコンクリート壁に激突。

帰らぬ人となりました。

その時の事故映像は何度もテレビニュースで放映されセナがどれだけ偉大なドライバーだったのかが印象つけられた記憶は今も私の心に残っています。

まとめ

伝説のドライバーの名が冠せられたマクラーレン・オートモービル渾身の一台[マクラーレン・セナ]!

価格は1億125万円~と、とても一般人に買える代物ではありませんがせめて路上を走行している姿だけでも見てみたいですね!

スポンサーリンク
Copy Protected by Chetan's WP-Copyprotect.